今までの流れ
最初はお決まりの自己紹介からしたいと思います。
共感、軽蔑、その他、少しでも興味を持っていけたら幸いです。
愛知県名古屋市に生まれる。
岐阜県大垣市に移住し、物心ついた時から公文式に通い、幼稚園にしてすでに掛け算をマスターしていた 。普通に公立小学校に行き、訳も分からず高学年からは河合塾、名進研といった学習塾に通い、物の見事に親の術中にハマり中学受験することになる。
奇跡的に医学部進学日本一といわれる愛知県、有名私立中高一貫男子校に入学する。
エスカレーター式に高校進学し見事に落ちこぼれる。
落ちこぼれたまま無謀にもとりあえず大学受験に挑む。
周りは当然のように浪人してでも医学部を受験するという流れをよそに、私立歯学部を5校受験し、奇跡的に福島県の私立歯学部に唯一合格となる。
大学進学しないと自動車の免許が取れなかったために、迷いながらもとりあえず大学進学を決め、自動車学校に通学する。
大学入学後は一人暮らしとなり、親の目が離れた瞬間に再度自動車学校に通学し、バイクの免許(自動二輪)を取得する。
しかし、大学3年目にバイク事故で生死をさまようこととなる。生きて帰ってきたが、利き腕の左手にハンデを追ってしまう。
歯科医師としてピンチを迎え、途端に勉強を始める。
利き手のハンデから両利きになる。
その甲斐あってか、難しいといわれる国家試験をパスし、さらに大学を首席卒業するという快挙を得た。
しかし卒業式の翌日、アメフトの練習中に東日本大震災が発生する。
震災当日は食料を求めて町をうろつき、行きつけのインド人のカレー屋でカレーを食べる。ガソリン不足に陥るなか、福島原発の爆発を機に、岐阜県の実家に避難をする。
卒後の研修先は決まっていたので、医学部付属病院で救急救命科、麻酔科を含む研修を受ける。
社会人になったのを機にクレー射撃を始め、バイクをさらに購入する。
しかし研修が忙しく趣味に打ち込めない日が続き、結局研修終了時に大学院進学を決意し再度学生となる。
4年間麻酔科で研究し、その間に海外での学会発表の機会が与えられる。
海外での学会発表を機に、飛行機を乗る機会が増え、アメリカでの生活に憧れると同時に航空機会社の上級会員の存在を知る。
そして、上級会員を目指すために多数のクレジットカードを作成し、いわゆる修行を開始する。当初は赤修行のみの予定だったが、どうせなら青修行もということで紫修行を敢行する。
無事に1年間で紫修行から解脱する。
一方で学位論文が海外誌の掲載が決まり、無事に4年間で医学博士の称号も得ることとなった。